Interview by Yosuke ”CB” Ishii Photo by “EC” Ishii
7月下旬から8月の初めまでの1週間、RVCA史上最大のツアー“RVCA WORLD TOUR TOKYO”が開催された。前代未聞の総勢50名以上の海外アーティスト、スケーター、サーファー、格闘家が来日し、渋谷/原宿でアートショーやイベントが行われた。
RVCAは有名無名のアーティストたちをArtist Network Program(ANP)という洗練されたセンスでサポートし、私たちをインスパイアしてきた。それはTim HendricksやBarry McGeeなどのようにすでに成功しているアーティストだけではなく世界では120名を超えるという。
日本でもショップ(RVCA SHIBUYA)の2Fにはギャラリーを併設、常にクリエイティヴなセンスを発信している。
今回の“RVCA WORLD TOUR TOKYO” にはEd Templeton、Aaron Rose、Barry McGee、Christian Fletcherなどに混じって今年2度目のAlexis Rossが来日。彼は親しい友人やスケーターとのプライベートプロジェクト“Boys Of Summer”での成功によりここ数年はスケーターからも注目されているアーティスト。
●私たちはRiddimという雑誌で、これが前回発行したものです。
Alexis (以下、A):(表紙を一目見るなり)Gary Panterか。マエストロだ。
A:僕はサザンカリフォルニア育ちで、本名はJason“Alexis”だけどJasonはクラスに何人もいるような名前だからグラフィティを描き始めた高校生からミドルネームのAlexisで呼ばれるようになったね。シングルマザーの母は事務職だったから決して裕福ではなかったね。他の子たちは何でも持っているのに僕は持っていないことが多かったから学校でもあまりフィットしていなかった感じかな。
A:サーフィンのやり方もわからなかったし、ギャングにも属さず、特にスポーツもやらないから選択肢が多くはなかったんだ。だからドローイングでも練習するかなってね。今のキッズもそうかもしれないけど、美術の授業以外は興味がなかったからね。アートの世界に入ったのはそういうことかな。
A:2年間だけ行ったよ。高校の最終学年の時にローカルの工具店で働いてたんだけど、常連のおばさんと友達になって彼女がちょっと僕の面倒を見てくれるようになったんだ。僕は母の言うことには耳を傾けないやつだったから、そのおばさんが僕に世の中の常識とかを教えてくれてね。サラダドレッシングの作り方や、上手なキスの仕方、、、いや待てよ、正しいハグの仕方だ。あとはカレッジに行くようにと僕の背中を押してくれた。僕はカレッジにいくつもりはなくて、ごみ収集作業員になるか地元のコミュニティカレッジに行くかってずっと考えていて、結局僕は東海岸に移り住んでブルックリンでバカをやってて上手くいかなくなったね。僕はドローイングの仕方は分かっていたけど、今ほどアートに対して興味を持っていなかったし情熱もフォーカスもしていなかったよ。なんならFucked Upだね、頭をおかしくしている方に興味があった。ハイになったり、器物破損、窃盗、そういう類の自己中心的な“面白い”ことだよね。
A:グラフィティをやっていた若い頃はトッド・ジェームス。16歳の時にトッドに出会ったんだけど、彼にはとても影響を受けたね。今ならスティーブン・パワーズもユーモアがあって良いよね。ペインターで気にしていたのはホモセクシャル・アーティストのトム・オブ・フィンランド(トウコ・ラークソネン)。彼は製図の達人で、同性愛者の性的なイラストを描いていたんだ。
あと1993年にイギリスのグラフィックデザインの雑誌”eye magazine”を盗んだ時に、そこに日本人コラージュ・アーティストの大竹伸朗が紹介されていたんだ。まだ今ほどインターネットが普及していない時代だったけど、僕はすでに色々なコラージュを見ていた。そして日本に来るといつも大竹伸朗の名前が浮かんでいて、ある時、日本で一緒に仕事をしていた人に大竹伸朗のことを話したんだ。するとちょうど彼のアートショウが開催されていると教えられて、そこに行ったんだ(2006年9月「大竹伸朗 全景 1955-2006」東京都現代美術館)。それは僕が今まで行ったアートショウの中でもベストのものだった。あの大規模な回顧展を見た僕は、大竹伸朗時う人は、きっと歳をとった50代のアーティストだと思ったよ。彼の仕事量の多さとバラエティに富んだ作品数にめまいがしたよ。今でも僕はあの時の作品集を大切に持っているんだ。半分まではとても良い影響を受けて「オ〜、イエス! アートを作るのはすごくクールだ!」ってね。だけどその残り半分を読み続けるとその本をひっそりと閉じて全くアートを作らなくなっちゃうんだ。ははは、分かるかい? 「もう無しだ無しだ、この人がもう全部やっちゃってるよ」ってね。それはスタイルに影響されるというよりは、自分が怠け者だと思わされるような感じかもね。「早くケツを上げて仕事しろ!」みたいにね。ははは。
●この前の来日の時に、ここ(ロンハーマン千駄ヶ谷)で来日中のデヴィン・フリンと仲良く話してましたね。デヴィンは、Riddimでもインタヴュー (http://riddimonline.com/archives/9816)したし、Gary Panterの親友だから、僕らも知り合いなんです。
A:デヴィンは年齢でいえば僕の1世代上のグラフィティライターで、LAで同じ時期にグラフィティを描いていたオリジナルの1人さ。そうなるとさっきの影響を受けた人の質問に戻るけど、デヴィンも間違いなく影響を受けた1人になるね。彼はグラフィティライターの達人で、笑いの達人だ。それが今はアニメーターの達人になっちまった。デヴィンの作品を見てるよね?彼もかなりのおバカで、最高だ。最終兵器だよ、「お前なんか俺の兄貴がけちょんけちょんにしちまうぜ」ってくらいに、彼を誇りに思っている。彼はオレの友達のヤバいデヴィンだぞ、オラ!って感じだな。
●サーフィンをやらないようですが作品にはよく波が出てきます。
A:身体がきついからサーフィンはやらないけど海には行くんだ。たまにフィンを持ってボディーサーフィンはするよ。一度13歳の時に母にねだってクリスマスプレゼントで中古のサーフボードを手に入れて、12月のクソ寒いクリスマスにウェットスーツを借りてベニスの海に入ってサーフィンに挑戦したんだ。1回目の波で頭から波に飲まれて「スゲー寒いな、これは!!」ってさ。そうしたら次に「クソッ、メガネをかけっぱなしで海に入ってるじゃんよ」って気づいたんだ。
●ははは
A:それって実はすごく恥ずかしいことなんだよ。僕が育ったベニスの環境は今とは全然違ってて、スケートボードとサーフィンはすごくタフなカルチャーだった。とても暴力的だったしお互いがとても意地悪だった。だからメガネを外して振り返って”Fuck Surfing!”ってね。
でもそうやって育ってきたんだよ。もし何か出来ないことや何か怖いことがあれば”Fuck That!”ってね。まあダサいやつらの言い訳さ(笑)。それ以来サーフボードは触ってないな。でもボディーサーフィンは楽しいね。
●まだやってるんですよね?
A:うん、やってるよ。でも肩が以前よりも悪くなってきているし太ってるからね。でもRVCAが僕にウェットスーツを提供してくれる限りはやるよね。