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R.I.P. Wayne Smith (The Birth of Sleng Teng)

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Text and Photo by Shizuo “EC” Ishii

 Wayne Smithが2月17日(月)にキングストン・パブリック病院で48歳の若さで他界した。1986年、俺がレコーディングに関係した最初のジャマイカン・アーティストだ。それはMen’s Bigiというブランドのための「Slick We Slick」という曲で、Roots Radicsがトラックを演奏しPVも制作され12″が作られた。スタジオはフーキムの所有する名門スタジオ、チャンネル・ワンだった。日本製のカシオトーンのプリセット音源から産まれた「Under Mi Sleng Teng」の大ヒットは知っていたが、正直言ってまだ俺には打ち込み(デジタル)トラックの魅力が理解できておらず、ナマでトラックを作った。そのレコーディングがきっかけとなってWayneとはその後も交流が続き、シーヴュー・ガーデンにあった彼ひとりで満員の狭いスタジオ(左写真)まで2度行った。そう、2度目のときだ。「ラジカセを修理したいから、クルマに乗せて行ってくれ」と、案内されるがままに着いたところがウオーター・ハウスの聖地、King Tubby’s Fire Houseスタジオだった。Wayneがいなかったら、Tubbyにも会えず、その翌年に作ったMUTE BEATの『DUB WISE』というリミックス盤のアイディアは浮かばなかった。

 それ以降ジャマイカ通いが始まった俺の常宿ホテルにWayneがよく現れたりしていたが、居をNYに移してからはそれほどは会っていなかった。だが2000年代前半に来日のついでにOVERHEATまで来てくれたことがあり、それから数年後の2007年、OVERHEAT主催で開催している「Soul Rebel」のアンコール曲1曲のためだけに無理を言って来日してもらった。1985年に世界のレゲエに革命を起したモンスター・チューンをやってもらうためだ。


もちろん曲は「Under Mi Sleg Teng」。
 出演者全員がSleng Tengリディムでアンコール曲を30分やり続けて終了。Wayneが出演することはバックのHOME GROWNのメンバーはおろか、出演アーティスト全員に知らせていないシークレット・ゲストだったから、お客さんもスタッフも本当にビックリしていた。

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