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Leroy “Fatman” Thompson

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Interview & Photo by Shizuo Ishii (石井志津男) Translated by CB

ジャマイカで好きなことのひとつがニックネーム。子供のときについたアダ名がオトナになってもそのままついているのがすごく好きだ。チビ、デブ、ヤセなど、その直接的なアダ名は日本のイジメ感覚とはちがう。
それ故、先天性アルビノという自らの身体の特徴を特長としたYellowmanというステージネームも愛されリスペクトされるのだろう。
そんなジャマイカのおデブちゃんエンジニアの知り合い3人の中の1人、”Fatman” ThompsonがJimmy Cliffのツアー・エンジニアとしてやってきた。何を隠そう、FatmanはKing Tubbyの直系なのだ。

●かなり久しぶりだね。一番最初は1988年、King TubbyのFirehouse スタジオで会って、そのずっとあとになってJammy’sスタジオに行くようになったら、君が働いていた。もう30年近い知り合いだけど、ほとんどあなたのプロフィールを知らないので教えて下さい。

Fatman(以下、F):本名はLeroy Thompsonだけど皆にはFatmanと呼ばれている。1966年にキングストンのWaterhouseで生まれて育った。僕が通っていた学校ではサマージョブというプログラムがあって学校がレターを書いてくれて、僕はそのレターを持って家の近所にあったKing Tubbyのところへ行ったんだ。だけどKing Tubbyはプロフェッショナルなら欲しいけど、今の君の働く場所はないと断られました。だから今度は卒業した1983年にもう一度彼のもとを訪ねました。その時も今は要らないからまた来いと言われたんです。ただKing Tubbyは、僕のとても仲が良い友人に僕の事を聞いていて、結局は僕も働けるようになったんです。King Tubbyは電気機器を修理できる優れた技術を持った人が欲しかったんです。

●なるほど、俺もKing Tubbyに最初に会ったのは、Wayne Smithがラジカセを修理に行くから俺のタクシーに便乗させてくれと言われて、着いたところがTubby’s Firehouseスタジオだった。だから次の年にもう一度Mute Beatのマルチ・テープを持ってDMX(宮崎)たちとTubbyにリミックスをしてもらいに行ったら、若いエンジニアだった君とPiegoという二人を紹介してくれたんだったね。

F:僕が行った頃のエンジニアにはProfessorがいたんだ。最初は月曜日だけ働き始めてProfessorがいなくなってからは、僕がスタジオでエンジニアとして働くようになったんです。

●レコーディング・エンジニアとしては、そこで学んだということなの?

F:そう。King Tubbyが全部教えてくれました。

●それまでは音楽のことは何もやっていなかったの?楽器とか?

F:全くやっていなかった。だって学校では電気技術を学んでいたんだ。だからラジオやテレビをリペアーしていただけでした。

●Piegoと君が当時の若手のエンジニアということでいいのかな?

F:Piegoは僕よりも先にスタジオに出入りしていましたが、まだエンジニアではありませんでした。どちらかというとただそこに居るだけでした。そんなある日King TubbyはPiegoと僕の二人に教え始めたんです。だからPiegoと全く一緒にスタートしました。

●その頃のFirehouseにはKing Tubbyの他に誰かエンジニアはいたのでしょうか?

F:Phillip Smartがいましたよね。Scientistもいましたね。あとはPat Kelly, Jammy, Professor, Pug Chemistもいました。僕がJimmy Cliffのスタジオで働くようになってからは、PiegoもBobby Digitalのスタジオに移りました。新しくBantonがKing Tubbyで働く様になったときは、僕が彼をトレーニングしました。だからKing Tubbyが亡くなった時はBantonが働いてましたね。

●King Tubbyはなぜ射殺されたんだろう?

F:う~ん、、、それは今でも謎のままだね。もちろん色々な噂はあるさ。だが本当の事は誰にも分からない。とても悲しい出来事でした。彼は家で殺されたからね。聞いた話によると殺したヤツは、警察によって既に殺されていたというから本当の事は誰にも分からないんだよ。ただ素晴らしい人が殺されたという事実だけです。

●King Tubbyが教えてくれたことで何か印象的な事はありますか?

F:全てにとても気長に色々と教えてくれました。Piegoと僕にはOKが出るまで付き添ってくれました。素晴らしい先生だ。生徒を見れば分かるよね。Pat Kelly, Jammy, Professor, Pug Chemist、、沢山の愛弟子が居ました。彼が教えてくれたとても重要な事は、アーティストがスタジオに居る時は、練習をしている時でさえ、常にレコーディングをしておけということです。まれにその時の歌い方の方が格段に良い時があるからです。いざレコーディングとなるとアーティストはテンションが上がりすぎて集中出来なくなっている時もある。だから「リハーサルだよ」と言って歌わせてもレコーディングをしていました。

※ ジャマイカではマルチレコーディング・テープは高価で貴重な物。テープ業者などは存在せず、マイアミやNYで購入し手持ちでジャマイカに持ち込んでいた。だから24トラックのAMPEX 456テープは通常19cm/sのスピードで回転させ、テープの頭ギリギリからレコーディングしてなるべく1本のテープに沢山の曲をレコーディングしていた。日本ではより高音質ワイドレンジを確保するために倍速の38cm/sのスピードが通常である。つまりジャマイカでは日本の倍の長さ(曲数)で使用していたわけである。だから練習からレコーディングするなどというのは、高価なテープを無駄にしかねないことで、King Tubbyがそれを率先して実行していたというのは、常に良いテイクを逃さない彼のひたむきさが強く感じられる逸話だ。余談だが、レコーディング時のテープスピードが遅ければ低域の特性が良くなると言う利点もあり、レゲエ特有の低域偏重にはピッタリだったとも言える。

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