Interview by Yosuke ”CB” Ishii(石井洋介)
天才スケーターでありながら、SUPRAのシニアデザイナーでもあるChad Muska。やりたいことをやり続ける男の最近のアーティスト活動をチェックした。
●実は前の号でArto SaariのインタビューをSkypeでやったんです。その後LAに行った時にArtoの家に招待してもらって彼のバックヤードプールを見てきました。
Chad (以下、C):Artoは素晴らしいフォトグラファーになってきているよね。僕の家はArtoの家からそんなに遠くないよ。
●えっ?NYとLAに家があるってことですか?
C:今はLAだけ。ちょっと前までNYにロフトを借りていたけど、LAには長いこと家を持っているからね。ここ最近ビジネスやSUPRAで色々と動きがあってまたLAに戻って来る流れになってね。常にこの2つの都市は強力なコネクションがあるから行ったり来たりしているんだ。
●(前号のRiddimに掲載したSUPRAの広告を見せながら)これ、Chadだよね?
C:Oh! 凄いね。その広告に出ているスカルプチャーは僕が作った物の1つだよ。僕は最近セメントや鉄などを使って色々な物を具象化して、スケーターじゃない人にも刺激的なモノで、またアートに興味がある人にはスカルプチャーを見て芸術的表現を感じてもらい、スケーターがソレを見たときにスケートしたくなる様な、実際にスケートしてもらえるモノを作っている。世界中にはたくさんのスカルプチャーがあるけれど作者はスケーターたちがどのような視点でスカルプチャーを見ているかなんて知りもしないよね。僕はスケーターだから動きや意図が分かるモノを作りたい。最近の僕のアート表現はこんな感じになるのかな。スケーターはミュージック、アート、フォトグラフィーなどととても密接で、知っている様にスケーターでありながらフィルマーもデザイナーもたくさんいるよね。スケーターはクリエイティブなクレイジー・ピープルなんだよ(笑)。だから僕たちはどこかで自分たちのアイデアを表現する場所を探しているんだ。
●なぜNYへ行ってたんですか?
C:スケートボードのツアーでNYへ行く前はNYに対してあまり良いイメージを持っていなかったんだ。でも16歳の時に初めてNYに行って、人も街もとてもナイスで引き寄せられるものがあったんだ。アメリカ文化のるつぼかな。僕とどこか似た様に、アートっていうかクリエイティブな仕事をしている人も多い。だから世界でも1番好きな都市の1つだね。
●今の生活の中心は何をしているんですか?
C:物作りだね。頭を使って何かを作りだすこと。シューズ、アパレル、ロゴ、広告、レイアウトとか。今の僕のメインのアウトレットはSUPRAになるわけだけど、それらのデザインが僕の人生の側面の1つだね。だから「何ををして生活していますか?
ということになるとSUPRAのデザインでお金を稼いでいるということになるね。それともう1つの側面がアーティスティックなサイドで、それ自体はお金を生み出していない時もあるからどちらかというと僕の表現だよね。音楽を作ったり、ドローイングをしたり、シューズを作ったり、、自分の頭の中にあるアイデアを何も恐れずに世に出すことかな。僕にとってスケートがこういう生き方が可能だと教えてくれた全てのルーツなんだ。スケートこそが、僕が好きなことをしてもやっていける、生活していけると教えてくれたんだ。 僕の場合はやや複雑だけど自分の限界を作りたくないし、スケーターだからスケートしか出来ないとかミュージシャンだから音楽しかやらないとかいう制限はしたくないんだ。
●Chadは自分自身を楽観的な人だと思いますか?
C:そう、常にね。どのようなシチェーションでも楽観的かもね。僕たちの周りで起こっていることの全てはコントロール出来ない。だけどそれらに対応することは出来るんだ。だからポジティブなこともネガティブなことも全て楽観的に考えてるよ。
●最初カリフォルニアに引っ越してきた時はホームレスだったと聞きましたが、それはどれくらいの期間ですか?
C:たぶん2~3年かな。 僕の家族は裕福ではなくてラスベガスのトレーラー・パークに住んでいて、当時はグラフィティーにハマッてた。僕も何をしたらいいのかも分かってない頃でラスベガスでトラブって、その時は足首を怪我していてスケートが出来る状態じゃなかったんだけど、カリフォルニアにはもっと可能性があると分かっていたからスケートで夢を叶えようと思って当時盛り上がっていたサンディエゴに移ったんだ。とりあえずビーチで降りてそこで生活が始まった。間違いなく僕の人生の中で最もクレイジーでラフな時間だったけど、同時に美しい時間でもあったんだ。あのスゴく大変な時期があったからこそ今の僕がいるし、自分の夢に向かって突き進めば困難なことも乗り越えられると感じていた。もちろんいつでも母親の家に帰れることも分かっていたけど、それは自分の諦めを意味することだったからね。足首が良くなってからスケートをそれまで以上にガンガンやるようになったら物事が良い方向に廻り始めたんだ。だからスケートボードで稼ぐ様になるまでは長い時間がかかったけど、稼げるようになってからは早かったね。
●その時期って若気の至りだったと思いますか?
C:う~ん、それが僕の人生だと思う。さっき質問してくれたけど僕は楽観的だったと思うし、常にポジティブに考える様にしていた。僕は過去を振り返って後悔したりしないし、今まで起きてきた全てが今の自分を形成していると思っているよ。全てそれぞれのストーリーがあるんだ。