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【前編】レゲエ・キーボーディスト鼎談、キーボードサミット? 外池満広 + 小西英理 + HAKASE-SUN

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Text by Riddim, Photo by “EC” Ishii

アンセル・コリンズの来日がもうすぐだ!東京だけでしか開催されないGladdy Unlimitedにジャマイカ代表としてやってくる。迎えるMatt Soundsには二人のキーボーディスト、外池満広と小西英理がいる。そこにスペシャルゲストとしてHAKASE-SUNが加わり、計4名のキーボーディストの饗宴となる。ということで、日本勢3人に集まってもらった。

●今回キーボーディストがアンセルを入れると4名となります。3人の皆さんの身辺調査から(笑)。

外池満広(以下、T):なかなか無いですよね。

小西英理(以下、K):初めてです。

●まずは、それぞれがキーボードを始めたきっかけからお聞きしたいんですけど。

K:私は小さい頃、親に近所のピアノ教室へ通わされてたんですけど、横にエレクトーンが置いてあって「こっちの方が楽しい」ってエレクトーンに変えてもらったけど、辞めちゃって高校の学園祭とかからまた弾きだして、大学も行くとこがなかったので、1曲入魂で滑り込みで入学。そこからまたずっと辞めてたんです。

HAKASE-SUN(以下、H):いくつくらいからまた始めたんですか?

K:24歳です。大学に入ったけどバイクの事故とか色々あったりして弾けなくなっちゃって、大学はなんとか卒業させてもらって、その頃ラテンのレコードに出会って、弾けない自分がグワーって弾いているラテンを聴いて「あっ、きた!」って憧れて、そこからはもう「私はピアノでいくぞ」と思ったのが24歳です。

H:なるほど。エレクトーンからピアノに転向したっていう事ですか。

K:転向というか、そんなに本気じゃ無かったんです。大人になってから「ラテンって、あっ、かっこいい、弾んで踊れて最高だなと」とそこから。

H:僕も英理さんと全く同じで小1くらいから親に「ピアノをやれ」って言われて、その前にやっぱりラテンの影響があって、ペレス・プラードの「Mambo No.5」でしたっけ。

K:大好きです。

H:家にそのドーナツ盤があってコロンビアのポータブル・プレイヤーとかで、5歳くらいから聴いていてその曲を気に入ってそればっかり聴いていたんですよ。だからラテンが元々自分のルーツで6歳からピアノをやらされてました。子供ではピアノって面白くないもんね(笑)。しかもちゃんとしたグランドピアノの部屋があったら良いけど、6畳の和室にアップライト・ピアノで、畳だから超デッドで。

T:はははっ(笑)。

H:しかも調律とかも狂ってきて「こんなピアノを弾いても」と思ったんですよ。中学の終わりくらいに「ソナタ」のところで、ちょっと難しくなって1回挫折してたんです。同時に中学校のブラバンに入って、最初はトランペットをやってたけど唇が合わなくて、中2からは小太鼓というかスネア、ローリング・ドラムとかをやっていたんですよ。高校になってビートルズとか色々コピーバンドを友達とやっていた時はドラム。でもやっぱり手と足があまり上手くいかなくて(笑)。ドラムのフィルってカッコよく叩きたいけど、フィルをやると足が止まってしまうっていう(笑)。だから、それも辞めて大学で東京に来たんです。プロミュージシャンになるぞっていう、若気の至りというね、願望を秘めて上京して、時代も良かったしバンドブームの波に乗って、ミュージシャンとしてデビューできた。

●それがフィッシュマンズですか?

H:フィッシュマンズと並行してムスタングA.K.A.っていうのをやっていて、CBS SONYから出てたの。僕が辞めた後の二代目キーボーディストに外池くんが入ってくれたんですよ。

T:大学のひとつ下の後輩にムスタングの友達がいて、そいつとレゲエバンドをやっていたんですけど、今スターパインズ・カフェで店長をやっているマービンっていうのがムスタングA.K.A.のリードで、それが繋いでくれてね。

H:89年くらいに、外池くんがMama Africaっていうバンドをやっていて、原宿のロサンゼルスって店で、、、。

T:そう、アマチュア同士で出て「俺の他にもこんなやつがいる」みたいに、びっくりしちゃって。


H:俺もそうだよ。ピアノの上にキーボードを載せて2段で外池君が立って中腰でノリノリで弾いてて、めっちゃかっこいい。

T:俺は逆に、HAKASEが(YAMAHA)DX7IIを4本脚のスタンドに載せて、太ももでキーボードを持ち上げながらこうやって、これはフィッシュボーンのキーボーディストのアクションじゃん!って思って。本当にびっくりしたね。「こんながやついるんだ、俺の他に」みたいな。

H:そうそうそう、かなり肉体派っていうか。暴れん坊な感じのね(笑)。外池君と僕はそういう出会いなんです。だから30年前から面識はあった。

T:役割が似ているから一緒にステージに上がる事はなかなか無かったけど、この間遂に果たしたね。

H:そうだよね。10月に今回Matt Soundsのベースを弾くコウチ君が主催しているイベントDub us.でシモンズ・ドラム・ナイト的なのをやりましたね。久々にライヴが面白かった。

T:面白かったね。改めてお互いにキャラの違いを感じて。

●じゃあ、外池さんがキーボードと出会ったのは?

T:驚いてるんだけど、俺もエレクトーンだしラテン&マンボなんですよ。うちの親父もペレス・プラードを聴いていて、ああいうラテンのレコードは子供がウキウキするから赤ちゃんの頃はそれで踊っていて。落ち着きがない子だからって集中力をつける為にと母親に音楽教室にぶっこまれてピアノをやってたんだけど、エレクトーンの方が良いやと。クラッシックの難しいアカデミックな事とかは面倒臭いけど、隣のエレクトーン・クラスはロックとかやってて、「青い影」(プロコルハルム)とかああいうソフトロックが普通にポップスにアレンジされて譜面になっている頃で、ビーチ・ボーイズとかミッシェル・ポルナレフを練習して「こっちの方が全然かっこいい」ってそっちにいったけど小6くらいで辞めちゃうんです。だけど、最後に習っていたエレクトーンのスケバンみたいな先生が俺の中では凄く重要で、おへそが出ている様なぴたぴたにフリルの付いたシャツに黒いパンタロンを履いてハイライトを吸っている様な先生。

H&K:はっはっは(笑)。

T:「お前は本当にノリノリの曲はがっちり練習してくるけど、スローとかバラードとかちっとも出来ないね」って、「お前がやりたい曲のレコードを持って来たら、譜面に起こしてあげるから好きなやつだけやれば」って。だから自分が上がる曲だけをやって、テクニックを教わったんだよね。

H:その後は?中学とか高校の時も習っていたの?

T:引越して転校があって、音楽教室の再入学が途切れちゃうんだ。そして美大に行く頃はニュー・ウェーブ・ブーム。正にOVERHEATレコードが始まってくるあの辺の感じでニュー・ウェーブとパンク、最先端はレゲエだってUKレゲエを聴いて2トーンを聴いて、そこから掘っていくと「やっぱりオルガンだ」って思って、大学に入ると時間が出来て「自分のバンドを組むぞ」って初めて組んだバンドがレゲエバンド。ピーター・トッシュのアルバムからMama Africaって名前を付けて、それでMUTE BEATを1曲コピーしたんですよ。そしたら面識が無かったHAKASEが「君、MUTE BEAT好きなの?」って声をかけてきた。多分87〜88年くらい。MUTE BEATの「Beat Away」のピテカン(レコード)から出たアレンジの方が好きで、わざと「俺はこっちのアレンジでって演ってたらHAKASEが刺さったみたい(笑)。

H:俺も当時はMUTEばっかり聴いていたから。

T:嬉しかったよね、「うわっ、遂にメジャーにいったぞ、俺たちはやっぱり正しかった」って。

H:あの頃は、ちょっと人気があったら誰でもプロデビュー出来たというか、ライヴハウスでお客さんが100人くらい入ったら割と誰でもデビュー出来たくらいの青田買いが横行してて(笑)。「予算1,500万円でとりあえず」みたいな。

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