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Andrew Pommier

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Text by CB Ishii (石井洋介)  Photo by Healthy

RVCAのANPアーティストとしてアートワークを提供するAndrew Pommier(アンドリュー・ポミエ)が初来日し、自由が丘のギャラリーDIGINNER GALLERYでアートショウを開いた。彼はadidasやNIKEなどのシューズ・カンパニーをはじめSTUSSY、FOUR STAR、TOY MACHINE、ELEMENT、Girl Skateboards、Heroin Skateboardsなどのストリート・ファッションやスケート・カンパニー、そしてThrasher Magazine、Juxtapozなどの雑誌にアートワークを提供してきた。

●あなたの育ったホームタウンはどのようなところでしたか?

Andrew(以下A):オンタリオ州の北にある鉱山業の盛んな工業都市で、スケートボードは86年に始めたよ。スポットもいくつか在ったし、スケーターもいたんだ。スケートの環境としてはそれほど悪くはなかったね。地元の女性が、スケートが流行っているからってショップを始めてくれたから、そこで色々な物を手に入れる事もできたしね。

●兄弟でスケートをしていたはずですが、スケートはAndrewが先に始めたのですか?それとも弟のScottが始めたのですか?

A:僕が先に始めたよ。近所に住んでいた友達がBanana Boardを持っていたんだけど、ほとんど貸してくれなくて、、。両親とトロントに行った時にデッキを見つけたんだ。それはBanana Boardに比べて大きいし幅も広いし、不細工なシェイプのデッキに見えたけど、両親に「バースデープレゼントに」って頼み込んで買ってもらったんだ。バースデーより一ヵ月早かったんだけどね。 (笑)

●当時のスケーターでは誰が好きだったんですか?

A: Lance Mountainかな。彼は変わり者のキャラだったし、アーティスティックだった。絵も描いていたし、僕にとってはTony Hawkよりも魅力的だった。Lanceは今でもガンガンスケートしてるよね。ちょっと前に出ていたFlipの広告のLanceのボールでの写真は圧巻だった。

●当然デッキのグラフィックにも興味がありましたよね。どれが一番好きでしたか?

A: 90年代のAlien Workshopのグラフィックだね。スリックのデッキが出てた時とか。New SchoolのMario Rubalcabaのデッキが凄く変な絵で、ワニの頭に蛇の腕がついたグレーの板で、それが一番好きだった。名前も書いてなければブランド名もなかった。でも当時はスケートボードもビジネスとして大きくなかったからそういう類いのデッキが出ていたんだ。Micheal Siebenが今でも何となくそういう感じの事ことをやってるよね。グラフィックはデッキのど真ん中にドカンとあるのが好きだね。昨晩ギャラリーで描いたものがそんな感じだったと思うよ。トラックとトラックの間にグラフィックがある感じ。

●Andrewにとってスケートボードとは何ですか?スポーツだと思いますか?

A:スケートは僕の一部分で、アイデアを与えてくれるもの。ピュアなモノで貸し借りがない、不思議な物だよね。パークをクルージングして、マンホールをオーリーで飛んでというシンプルなものだけど、僕にとっては単にアクティビティというよりは、もっと有益な基礎になるモノっていうのかな。そのおかげで僕は今この日本にいるしね。幸か不幸かスケートボードは莫大な金を産むモノとなり、TVでも見る事が出来るようになり、人々はそれに熱狂し、スターになる事を夢見る人もいる。Paul RodrigezやRyan Schecklerなど沢山のスケーターはスケートの”ある一部分”をビジネスとして考えているかもしれない。僕の推測にすぎないけど、そういったスケーターはスケートというモノを純粋にカルチャーやバックグラウンドまで含めて大好きなのかはわからない。スケートボードの歴史や90年代の流れとかね。だから今の流れをスポーツだとは断言しないけど、ビジネスに比重を置いて考えているスケーターもいるかもしれないね。

●では小さい時から絵を描いていたんでしょうか?

A:たぶん物心が付いた時から今までずっと絵を描いていると思う。スケートボードのグラフィックこそが自分の中ではいつも新しい発見で、有名なアーティストがグラフィックを描いたボードに乗っているんだと気づいて、自分もできないかなと思い始めたんだ。大きな意味でのアートという世界を意識し始めたのもスケートだった。

●あなたの絵が初めてグッズになったのは何でしたか?

A:それはトロントに住んでいた時だ。大きなモールの裏の教会にマニュアルが出来る2段と3段の小さなスポットがあり、ダウンタウンのスケートシーンはそこから誕生したんだ。Bill Weiss, Thomas Morgan, Justin Bokmaなどのプロが滑っていたスポットだ。自然に彼らと話すようになり、ある時グラフィックをやってみたいと言ったんだ。当時BillはBalance Skateboardのライダーで、僕のスケッチブックから彼が選んだ絵を家に帰ってキチンとしたグラフィックにして、カリフォルニアのBalance Skateboardに電話をして送ったんだ。それは虫が手にビールのボトルを沢山持っている絵と、空き缶がBalanceの文字になっているロゴをデザインしたものだった。さらにTシャツのシルクスクリーン用に5枚のレイヤーに分けて送ったけど、結局ボツになったんだ。そうしたら、フロリダのTampa Amスケート・コンテストに行った弟が「あのロゴのTシャツを見たよ!
と教えてくれて、すぐにBalance Skateboardに電話をしたら、$50送ってくれたよ(笑)。それが最初だね。

●アートに興味を持ち始めて、どのようにスキルアップしましたか?

A:最初はコマーシャルアートを勉強したくてアートスクールに通いました。アートこそが僕がやりたい事だと思ったからね。

●それではもうその頃にはスケートよりもアートが好きだった?

A:そう、僕はトロントにいてアートで何が出来るのかを追求したかった。絵を描くのはずっと好きだったからアートスクールに通ったのも当然のことだった。実は弟も1年だけは僕と同じアートスクールに通いましたよ。

●弟のScottはどこかのチームに所属してましたよね?

A:彼はファンタスティックだった。とても上手かった。Woodchuck LaminatesとVans Canadaとトロントにあるローカルのスケートショップのライダーで、Woodchuck Laminatesのビデオではいくつかパートを残したけど、背中を捻ってしまったり、足首はずっと痛めてばかりと怪我が多すぎて、、。まだスケートはしてますから乗れば上手いですよ。この前も彼がスイッチ360°をやっているのを見てアセりました。

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