Text by Naohiro Moro
横浜はもちろん、川崎、相模原、横須賀と各地から次々と発火する神奈川ヒップホップの炎。その中でも最も現在注目を集める藤沢シーンの重鎮、DJ MISTA SHARが、とうとう自分名義のビートメイカー・アルバムをリリースした。そのフレッシュな内容はジワジワと評価を高める一方だ。
その彼に話しを聞いた。場所は彼の地元、藤沢。江の電江ノ島駅からほど近く、店の窓から河口の先に江ノ島を見晴らす居酒屋「まる」。昼から緑茶ハイを一口含んでMISTA SHARは話し始めた。
●結構時間掛けて作ってたの?このアルバム?
MISTA SHAR(以下S):1年半ぐらいですかね。一昨年の正月からだから、そんなもんですね。●C.I.C.のアルバムをリリースしたのが、、、?
S:2007年ですね。●その間、トラック提供やプロデュースをしながら湘南ヒップホップ・シーンを見つめて、活動を本格化させて来たと思うんだけど、やっぱりこの数年それが盛り上がって来てる感触はあったでしょ?
S:ありましたね。若手のリリースもあったし。湘南、というか藤沢のヒップホップですね、特に。DINARY DELTA FORCEとかBLAHRMYとか。彼等が全国区に駆け上がっていくのを見てるし、流れが来てるのは感じてましたね。●その辺の世代っていうのは年齢的には?
S:20代後半ぐらいですかね。●なるほど。今30歳ぐらいの連中っていうのは、96年の「さんピンCAMP」の時に小6とか中1とかで、日本語ラップのかっこ良さがどんどん広まってる時期に中学時代、高校時代を過ごしてる黄金世代な訳だもんね。
S:いわゆる“クラッシック”といわれる名曲を中高生でリアルタイムで聞いてた世代ですね。●そこがどんどん力をつけて来るのは当然なんだろうね。それとその中間の世代の平塚勢、茅ヶ崎勢、DROとかBULLとか力を付けて来た勢力とのリンクもあったし。
S:奴らはもう結構前からの付き合いですね。C.I.C.のアルバムを出す少し前ぐらい。BAZOOがまだThe Brobusにいた頃で、メジャー・デビューするなんて言ってた頃だから2006年頃からですかね。●それとこの数年じゃあ、その上の世代、往年の「Best Of Japanese Hip Hop」シリーズのコンピにも収録されたこともある平塚の老舗MICRO TACSのDJ460たちとのリンクもあるよね。本当、この数年、湘南でSHARを中心にヒップホップが盛り上がってきてるのは感じてたよ。頑張ってたのも。で、今回、ソロ名義というかプロデューサー名義でのアルバム・リリースってことなんだけど、そこに込めた思いみたいなものを聞かせてよ。
S:色んな人にビートを渡したり、アルバムに参加させてもらったりとかやってきて、藤沢の中でも盛り上がってきてるのも感じてたし、この数年ヒップホップを取り巻く状況がどんどん熱くなって行く中で、「じゃあオレも出したいな」って気持ちが高まってきて、、、。それで60トラックぐらい用意していろんな人に送ったんですよね。そこからやりとりが始まって。で、これだけの人数とやってる訳だから、最初はタイミングが合わなかったけど、作ってるうちに参加してくれることになったり、オケも最初に送ったのが違うな、って感じだったら、また合う様なものを送ってみたり、、、。●ケツが決まってる訳じゃ無いもんね。
S:そうですね。だから自然体で1曲1曲作ってるうちに1年半ぐらいかかって。で今回は流通をファイルレコードさんでお願いしてるんですけど、ほぼ完パケに近い状態のものを聞いてもらってから動けたんで、その辺も良かったです。●ファイルと言えばジャパニーズ・ヒップホップの名門、てイメージあるもんね。
S:そうですよ。MICROPHONE PAGERからRHYMESTERから。今またDINARY DELTA FORCEとかSD JANKSTAとかもみんなファイルですよ。やっぱB-BOY的には憧れのレーベルじゃないですか。