Text by CB Ishii(石井洋介) Photo by Shin Okishima(沖嶋信)Except Monochrome
サンフランシスコのスケートシーンを語る上でHIGH SPEED PRODUCTIONS(THRASHER MAGAZINE)やDLX DISTRIBUTION(ANTI HERO, SPITFIRE,KROOKED,REAL)が欠かせないように、90年代のLAはGIRL DISTRIBUTION(GIRL,CHOCOLATE)をクリエイティブなカンパニーとして誰もが憧れた。そしてGIRL DISTRIBUTIONが作り出すスケート・ビデオのクオリティは高く、単なるトリック重視のスケート・ビデオではなく1本を通してストーリーのあるショートフィルムのような展開と常に新しい仕掛けがあった。それには今年のアカデミー賞脚本賞に輝いた『her』、さらには『マルコヴィッチの穴』『アダプテーション』などの監督である鬼才スパイク・ジョーンズが制作に携わっていたことに他ならない。ご存知の方も多いと思うがスパイク・ジョーンズ監督はスケーターであり、ハリウッド映画監督になる前はスケート・ビデオやマーク・ゴンザレスを起用したTVCM、MUSIC PVなどを制作していた。
そのCHOCOLATEのプロスケーターとして長年活躍していたのがリチャード・マルダー。当時の彼ほど下半身がぶれずに完成度の高いトリックを次々に出してくる前衛的なスケーターは極少数で、タレント揃いのGIRL/CHOCOLATEの中でも際立っていたから人気も高かった。
2004年、当時僕が住んでいたサンフランシスコにCHOCOLATEのライダーとしてリチャードがスケートデモにやって来て、初めて目にした彼の滑りにミーハー丸出しでツーショット写真をねだった記憶がある。スパイク・ジョーンズも同行していて彼とも写真を撮ったっけ。
そして2009年になり、オーシャンサイドのトレードショウで雲から足が飛び出ているTシャツを着たリチャードに話しかけて、僕はHeel Bruiseと仕事をすることになった。
今回Stussy x Heel Bruiseによる写真展「Under The Radar」でリチャード・マルダー、トーマス・ユー、ロビー・ジェファースという気になる3人が揃って来日。今年に入って2回目のあの大雪の日にRiddim編集部でインタビュー。
●あなた達3人はどのようにして出会ったんでしょうか?
リチャード・マルダー(以下、R):トーマスは僕が14歳の時から知っている仲で一緒にスケートをして育ったんだ。トーマスは98年か99年に当時結成されたばかりのStussy Skate部門のグラフィックを担当していたんだよ。ロビーとはStussyを通じて出会いました。Stussyがスケートチームを結成した時にロビーが僕をライダーにしたいと声をかけてくれたんだ。
●トーマスはその当時はフルタイムでStussyで働いていたのですか?
トーマス・ユー(以下、T):そうだよ。Stussy Skateのデザインにフォーカスして働いていた。Stussyで初めて結成されたスケートチームにロビーとリチャードがいたから色々とアイデアをくれてやりやすかった。
●ロビーはStussy以外にNIKEでも仕事をしていたそうですが?
ロビー・ジェファース(以下、J):そう、同時期にNIKEとStussyで仕事をしていました。リチャードが言った様にStussyのスケートチームが98年に結成されたとして、2000年にはNIKEがNIKE SB(Skateboard)チームを立ち上げるから手伝ってくれないかとアプローチしてきたんだ。Stussyのオーナーのフランクがとても理解がある人で掛け持ちでやらせてくれたんだ。だから僕はStussyの社員でありながらNikeとは契約社員だった。だから両方出来たんだ。
●Heel Bruiseはどのようにスタートしたのでしょうか?みなさんのHeel Bruiseでのポジションを教えて下さい。
R:Heel Bruiseは正確には2008年の冬にスタートしたんだけど、ブランド・コンセプトとブランド・ネームが頭にパッと浮かんできて、それをトーマスに相談したら「クールだ!」って言ってくれたので、今度はロビーに言ってみたら「それはブランドネームとしては素晴らしいアイデアだよ! コンセプトも好きだ
と言ってくれた。先ずトーマスがロゴを作ってくれたから、さっそくTシャツを周りの友達に配ったりして自然と取り扱ってくれるショップが増えていったんだ。僕は自分が愛しているモノを表現出来るアウトレットが欲しいんだ。それはスケートボードとそれに付随した全ての輝いているものになるんだけどね。Heel Bruiseは僕らが何者であるかを表現していて“スケーターとして音楽にしろ何にしろ一緒に触れてきた物事”、それを具現化したかった。そこにはギミックは何もないんだ。僕は基本的に生産管理とか予算の事とかで、トーマスはHeel Bruiseのメイングラフィック・デザイナーであり、ブランド・ディレクターだね。ロビーはマーケティングを手伝ってくれたり、ビデオや写真などで素材を提供してくれているよ。
J:自分がブランドネームを思いついたわけじゃないからこれだけは、はっきり言えるんだけど、Heel Bruiseというブランドネームは天才的アイディアだよ。夢中で大好きなスケートをしているとHeel Bruise(カカトの打撲傷)は、誰にでも覚えがある事だよね。Heel Bruiseというのはスケートボードの象徴とも言える。このネーミングに反応したスケーターが「何それ?Heel Bruiseって何?って聞いてくるしね。本当に良い名前だよ。だからリチャードが僕に「どう思う?」って聞いてきた時はスゴいネーミングだと思ったよ。
●では今回Stussyとコラボしている「Under The Radar」という写真展が、東京、大阪、福岡で開催されますが、これはどのように始まったのですか?
R:フォトグラファーのNick Josephに写真展をやりたいと話したところから始まったよ。僕らはまだ小さいブランドだから、ちょっと写真展をやるにはキツいかなと思って、まあ最終的には結局色々と大変なんだということを経験したんだけど(笑)。「Under The Radar」は写真を撮っているけどまだ名前の知られていない人の写真を展示するのが目的で始めたんだ。一回目は2011年にラスベガスでやって大成功だったんだ。Stussyにこの企画を一緒にやらないかと持ちかけたら承諾してくれてね。それ以来ずっと続いて、今はこうして東京で5回目をやれたわけだね。
●フォトグラファーの選出はどのように決めているんですか?今回もレイ・バービーをはじめ日本からも平野太呂さんとか沖嶋信さんとか、魅力的なラインナップですよね。
R:それはStussyとHeel Bruiseのみんなで決めて、全てが上手くブレンドされてコンセプトに沿ったものが展示される様にしている。