Interview by Shizuo Ishii石井志津男 Photo by Yoshifumi Egami
●今日BOSSと初めてこんなに話しをするわけだけど、あの3.11があったあの日のBOSSの心境っていうのはどうだった?ニュースを見ても驚くだけだったと思うけど。
ILL-BOSSTINO(以下B):そうですね。
●ちょっと時間が経ってあの時の事を振り返ってみると、俺は軽いノイローゼみたいになってたと思うんだ。良くは分からないけど多分日本中がすごくノイローゼだらけだったと思うんだ。ある感覚でいえば。
B:そうかもしれないですね。
●その時にねBOSSはどう対処してたのかな。
B:確かに俺も半ばノイローゼでしたね、ただただ打ちのめされてました。それこそすぐ被災地に行った人達だとか、ハードコアのバンドの人達もすぐに動いた人達は沢山いたけど、俺は違った。で、すぐチャリティーの音楽作ろうって言うような人たちも沢山いたし、もちろん俺のところにもそういう誘いも沢山きたから、ジャンル問わずね。でも俺は動けなかった、正直。やっぱり動けなかったなあ二年前は、本当に、言葉っすからね、物資とか募金だったら実際すぐに動いたけれど、言葉ですからね。自分よりとてつもない悲しみとか苦しみを背負っている人間に安易に「がんばれよ」って一言すらかけられるかっていう事態ですよはっきり言って。
●あの直後に「上を向いて歩こう」をCMで使ってるのを見て、俺はビビっちゃったね。今はまだその曲は歌えないからっていうあれですけど。
B:そうなんですよ、ましてや離れた場所からね、あったかい部屋からね。
●その街にいるならできたかも。
B:そこは苦しかったけど、でも本当に言葉を発するというよりかは言葉を書くっていう事だけになんとか時間をかけて少しずつそこに戻ってきたって感じですね。今週そこにへ行くんです。つくづく思うんですけど2年かかったって感じですもん、直接行って地元の人達と向かい合って、結局は前向きな言葉を言いに行く訳ですよ、簡単に一言で言っちゃえば。世の中に溢れてる前向きなスローガンと同じ種類の言葉っす。ものすごい量の言葉を使うけれども、結果を言っちゃえばそういう事を言いに行く訳ですよ。そういうような前向きな事を言うには、その言葉が有効なのかや言葉の力そのものを信じる事にすら、俺はやっぱ2年かかったなと、今は思う。正直、その時はだめだったね、うん。言葉で生きてきて初めて言葉の無力さを感じてましたね。
●「CAN’T STOP TALKING TOUR」っていう今回の東北ツアーのタイミングはやっぱり今だっていうこと?
B:そうですね、僕の方から、あの日から2年後の週末に箱を借りました。ここしか無いって去年の暮れぐらいにそこの三つの箱にオファーをかけたんです。3月11日直後の週末なので絶対埋まってると思ったんですよ。でも三つともそこの週末が空いていて、じゃあ行くしかねえなみたいに思ったんですけどね。
●あの時は、自分で使えるスタジオと自分がマネジメントしてるアーティストがいても、1週間くらい何にもできなかった。本当に無力なんだなっていうことを俺も思った。1週間くらいして日曜日だったかな?アーティストでも何でもないのに、ふっとラブソングくらい作ってもいいんじゃないかって思って、それでバカだから生まれて初めてマジでリリックを書いたんだ。やっぱりスタンドアップってのは書けなくてラブソング。
B:いいっしょ、石井さんみたいな人が書くべきだよ本当に。
●いやいや、それはハズミだから。コンセプトになるリリックかどうかは微妙だけど、みんなにメールしてコレを基にして勝手に書いてくれって送ったんだけど、情けなくもみんなにはオリジナルは採用されなかったけど(笑)。でも被災地にとったら、金はいくらあっても良いんじゃないかと思ってチャリティーをね。
B:本当だよね。
●夜の12時過ぎた頃だったかな、僕の好きなアーティスト(Gladstone Anderson)のトラックをリメイクしてよって外池さんという人に「こんなチャリティーで」って電話したら、「やる!頼んでくれて嬉しいよ」って喜んでくれた。その人もどこにも逃げずに仕事をしてる人で、あっという間にこのトラックができて、LAのRAKAA(Dilated Peoples)とかにはTwitterで連絡したらすぐに返してきて「待ってるよ、ビッグネームの友達にも声かけるぞ」って言ってくれたけど、いやそれは要らないんだよ近い知り合いだけでやりたいからって返して、即行届いたデモはやっぱり「立ち上がれ!」っていうリリックだったから、あのリリシストのRAKAAに恐れ多くも直してもらったり、朝起きて、イギリスの友達でBitty Mcleanって声のきれいなシンガーから「♬悲しみの涙が、いつか喜びの涙に変わる時がある」って歌った英語のデモをダウンロードした瞬間に、丁度Dragon76君っていうアーティストがジャケットのハートの絵を送ってきて、曲と映像が同時にリンクして朝からウワ〜!ってなって、、、。
本当にあの時は何もやる事が無くて、ライブも飛ぶし、本当に何もない。八百屋なら野菜を売るってことができたけどあの時に俺の周囲は音楽とか止まってたんだよね。それでBOSSみたいにあの震災がある前からあんな曲(Tenderly)を書く人が、その時どうしてたのかと思ったんですよ。
B:みんなそうだったと思うよ、音楽やってる人は特にね。音楽って本当に余剰品というか、世の中でいうとまず衣食住があってその後のものじゃないですか。
●音楽が無くても死なないからね、生死のとこじゃないから。
B:衣食住、音楽っていう風な感じで、普段は何気にねNo Music No Lifeみたいなフィーリングで生きてるし、もちろんそこのテンションで音楽を広めてはいるんだけど、でも実際本当に衣食住もあるかどうかわからないような状況になった時に、三つの頭越しに音楽で何かをできるなんていう、、、俺的には最初はそんな気持ちにはなれないっていうのが正直なとこだったね、本当にね。まず衣食住を確保する為に何をすればいいのか。よし、米を送るかって動いたのが一番最初ですね。結構ホームページにも「BOSS頼むよ」みたいなメールが沢山来たんですよ。「俺今真っ暗な街にいるよ」だとか、「俺の知り合いが死んじゃってさ」とか、「なんとか声出してくれよ」みたいな感じのメールがきた時は、、、苦しかったっすね俺。その人たちが受けてる苦しみに比べれば全然大した事は無いんだけど、本当になかなか言葉にならない苦しみでしたね。でも沈黙するっていうこともすごい勇気のいる事だってのもそういう日々の中に学んで、次に出した『TOTAL』ってアルバムに直接つながっていくんだけど、、、「言葉で生きてるから言葉出してくれよ」って言われたんだけど、言葉で生きてるから簡単な言葉は言えねえんだよっていうフィーリングもまた俺には正直あって、だから簡単に「頑張れよ」は言えるけど、その場しのぎじゃなくて、本質的に起こった事をどう納得させて、本当に頑張ろうって気持ちになってもらうにはどういう言い方がいいのかとか、どうやって最後の前向きさに結びつければいいのかを、俺Twitterとかやらないんで、Twitterみたいにタイムラインでどんどん流れていってしまうようないわゆる会話中での言葉とは、俺の音楽で扱ってる言葉は違うっていう風に思ってるからそのアルバム1枚、曲1曲でどうかっていう風に考えたら、ただの「頑張れよ」じゃ話にならないんだよなって事になる。やっぱりどうやって本気で、本気でですよ、今の状況をひっくり返すか、そのための言葉を揃えるにはすげえ時間がかかるからあえてそこは沈黙してましたねその時は。いつか必ずその時は来るって、ひたすらノートに言葉を書いてました。