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ORIENTAL ELEMENTS 2 TOKYO TOSHIKAZU NOZAKA x USUGROW

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Text by Taku Takemura(竹村卓) Photo by Yoshifumi Egami ,Miki Matsushima

スケートボーダーであり彫師、そしてアーティストとして活動する野坂稔和。パンクやハードコアバンドのジャケット、フライヤー、スケートボード、ファッションブランドなど数多くのアートワークをはじめ、グループ展のキュレーションなども手がけるアーティストのUSUGROW。この二人が「ORIENTAL ELEMENTS 2 TOKYO」と題し、東京のGALLERY COMMONで二人展を行なう。スケートボードやハードコアなどの世界で名が知られるが、彼らの作品からは日本の美しさが感じられる。そんな二人に今までのこと、展示のこと、そしてこれからのことを聞いた。

●二人の出会いは?

野坂(以下野):当時、たしか19才だったときに下北沢にあったスケートショップ、バイオレントグラインドにUSUGROWが電話してきて、「野坂くんいますか?」と。19才の時に会ったこともない18才のヤツからインタビューしたいって言われて、すごい度肝を抜かれた。そのあと手紙とファックスでインタビューをして。手紙ですよ。なんかいい加減な自分が出ちゃったなって。

USUGROW(以下U):そんなことないですよ。すっごく字が綺麗で。ビシッっと書いてあって。ものづくりのこととか絵のことやその時にやっていることを聞いたんです。当時フリーペーパーを作っていて野坂さんにインタビューしたかったんです。

●野坂くんのことはどうやって知ったのですか?

U:当時は福島に住んでいて、なかなか東京に出てこれなかったので。雑誌を見たりとか、よく通っていたお店で野坂さんのことを知って。フリーペーパーの内容は地元のバンドのライブ情報とかも載せたり、あと絵とか載せたり。

野:でもそれから実際に会うのは10年後くらいなんですよ。でも、いつ出会っていつ頃からちゃんと話すようになったのかまったく覚えていなくて。

U:オレは野坂さんが何かをやっているときは影ながらチェックしていました。

野:自分の絵のショーをやるようになったのが10年くらい前だったけど、2回目のショーを中目黒でやったときくらいからよく話すようになったんだ。本当にこの10年くらい。だから20代の10年間は会ってもいないし連絡もとっていなかったね。

U:フリーペーパーをやったりしていた10代の時は自分の意識が完全に外に向いていたんです。そして20代になってからは逆に自分のことだけを見るようになって。

●それは自分の作品作りとか?

U:そうです。作品作りとかバンドのこととか。10代の時は社交的だったんですけれど。

●野坂くんは彫り師をやっていて自分の作品を発表するようになったのはいつ頃から?

野:30才になってから。絵は描いてはいたんだけど、僕の場合、20代の10年間は彫り物の世界で仕事していたんで。その10年は彫り師として時間を使っていた。だから地方へ彫り物の出張に行っていました。それがひと段落ついて、これからは日本の彫り物の世界も変わってくるんじゃないかなと思って、絵も頑張ってみようと。僕はスケートボーダーでそのあと彫り師になったんで、まずはスケートボードの展示と彫り物の展示をそれぞれ発表して、絵の展示はそれからにしたいなと勝手に決めて。とりあえずは僕を知っている人たちにスケーターとしてのルーツや表現と、彫り師としての考え方をそれぞれ発表してから絵描きとして作品発表ができるようになりたいなと思ったんです。

●USUGROWさんは?

U:最初はレコードジャケットとかフライヤーから始めて、それをずっとやっていて、10年くらい前に東京に移ってきて、それからですね、ギャラリーとかで展示するようになったのは。野坂さんが展示をするようになったときと同時期くらいに個展をやって。それまでずっと絵で食ってきていたんですけど、東京に来てから1年間だけ仕事に就いて働きながら趣味で絵を描くという生活をしたんです。その1年間だけというのが大きかったんですよね。

●絵で食べていくって大変。絵を仕事として受けるということも簡単ではなさそうですね。

U:基本的に自分の絵が好きで頼んでくれる人がほとんどなんですけれど、それでもちょっと疲れちゃって、一度趣味として絵を描いてみようと1年間は仕事をしながら絵を描いていたら、楽しく絵を描くことをちょっとずつ思い出せたしリフレッシュしたんです。そんなときスケートしてて脚の骨を折っちゃったんです。

野:スケートで脚折ったっんだ。スケーターとしたらそれって勲章じゃん(笑)。

U:それどころじゃなかったんですよ!仕事ができなくなって家賃とか大変で。その時にいろいろ気持ちも柔らかくなった分、また外のことがちゃんと見られるようになって、そしてもう一度絵でやっていこうって。

●そんな二人が10年越しで話すようになったのは?

野:10年前は絵を描いてアートショーで作品を発表している人って多くなかった。そのときお互い考えている方向が一致していた時期だったんだと思う。だからよく話すようになったし、彫り物の話しとか絵の話しとかをするようになった。オレもずっとひとりでやっているし、USUGUROWもとても独立した人だから、そういう部分で歯車が合うようになったんだと思う。そして5年くらい前にスタジオをシェアしてみようという話になった。そのあたりからアートショーで海外を一緒に廻ったりもすることもあったりして。

●スタジオをシェアするきっかけは?

野:住んでいるところが近所だったから。

U:ギャラリーとかで作品を発表するようにもなって自宅だと手狭になったんで。

●今回ふたりでこの「ORIENTAL ELEMENTS 2 TOKYO」をすることになったきっかけは?

野:2011年にメルボルンで二人のアートショーをやってたんで、今回また二人でショーをやろうと。今まで4年間二人でスタジオをシェアしてきて、そろそろまたセパレートしようという話になったけど、4年間も一緒にいたから別々になる前に何か形になることをやりたいねということになって。メルボルンでやったときのタイトルと同じ「ORIENTAL ELEMENTS」が、いろいろ考えた結果、それに「2」が付いた。メルボルンの人たちが見た時に自分たちの作品を表わすタイトルはなんだろう?って考えてこのタイトルになったんだけど、結構気に入っています。メンバーも同じだし、今回もこのタイトルでいこうとなった。

●シェアしているスタジオってどんな感じ?

U:お互いの部屋とリビングがあります。

●お互いにどんな会話をするの?

野:話すときはすごく話すけれど、会わないときは週に1、2回くらいしか会わない。基本的に僕が昼でUSUGROWが夜の人間なので。僕は朝の9時に来て夜の6時でぴったりに帰る人間なんですよ。夕飯の支度あるんで、みたいな。USUGROWは夜からエンジンがかかってきて朝の10時くらいまでやっている感じだよね。

U:そうですね。昼くらいに起きて3時くらいにスタジオに行って、ああでもないこうでもないって言いながら朝になっちゃいますね。野坂さんが、朝来る頃にはおかしなテンションになっちゃっていることが多いですね。

野:簡単に言うと、僕がうるさい太陽でUSUGROWは静かなお月さま。

●それって作品にもあらわれているかもしれないね。

野:僕もスタジオに籠もって描いているのも好きなんだけど、でもそれをずっと続けるのは無理なんですよ。体が苛ついちゃってダメ。すぐ飲みに行っちゃうし。

●ひとりで描くときと二人で同じキャンバスに描くときの違いは?

野:ライブペイントの時はいくら打ち合わせしていても、最初に一筆を入れた人に引っ張られるんですよね。誰が始めに一筆いれるか?みたいな。結局はそれを中心にどうやって自分のスキルを表現していくのかっていう感じになりますね。バトルではないんですが、より上手にかぶせてお客さんに喜んでもうらか、みたいな。逆にアートピースでは一緒に描いたことはなくて、僕が描いて渡して、重ねてもらって、またそれを戻してもらってまた描き加えて、それをまた最後仕上げるみたいな。2往復くらいして完成させる感じですね。

●二人がスタジオをシェアしていて、その二人がアートショーをするってなんか分かりやすいし気持ちの良い展示ですね。

野:二人の生活を見るとまったく行動も別だし、タイプも真逆。本当に月と太陽。例えば1年の間に二人で飲みに行ったことも1回あるかないかだし。だけど時々夜とか一緒の時間に話しをすると、やっぱり同じ惑星から来ているんだなっていう感覚があるんですよね。他の人から見られるイメージは、ハードコアが好きとか彫り物をやっているとか、パンクバンドのジャケットの絵を描いているからそういう感じの人に思われることが多いんだけれど、実はふたりとも全然そのイメージと違っていて、ものすごく綺麗な物が好きで、純粋に美しい物を追求しているし、僕も日本の彫り物とかが美しいと思ってやっているので。ストリート・アートっていう言葉が使われるようになって、そういう感じに見られることもあるけれど自分はそういうつもりでやってきたことはないしね。

●そうなんですね。作品を見ているとその感じはわかります。野坂くんからみたUSUGROWさんはどんな人?

野:修行僧だね。横文字でいうならインク・モンスターっていう感じ。まだそのことを考えていて、まだそれを追求したくて、まだ寝ていないんだ!っていういうくらい徹底的に追求している。本当に痕つめている人だね。だから彼はたぶん机の上でラフスケッチしたペンを持って描きながらバタッって死ぬんだろうなーって思っている。毎朝スタジオに来るたびに死んでないかっ、大丈夫か?って確認しちゃうくらい(笑)。本当にすごいですよ。

U:さっき言ってましたけれど、野坂さんはハードコアなイメージに思われることが多いんですが、でも本当はナイーブで破天荒のように見せているけれど、ちゃんと手順を踏む品の良さというのが作品によく現れていると思います。良いことを言ってもらった後にこういう話しもなんなんですが、僕は結構適当なんです。画材の話しとかしていても、野坂さんは「ここはちゃんと下地を作らないと」とか言ってくれるんですよ。手順を踏むんです。それって伝統を守る人とか、そういう意識がある人にとっては不可欠なことだと思うんです。そういう意味で品があるんだと思います。彫り物の話になっちゃうんですが、あまりタトゥーアーティストが描く絵とかには興味がなくて、それは絵に対してなにかが欠落しているような気がしちゃって。でも野坂さんの描く絵が他の人と違うのはそういう基本的なことがちゃんとできているからなんです。

野:そんなに言われると今回もその手順を踏めているかどうか、プレッシャーになるね。頑張ります。

U:つい合理化で飛ばしてしまうことをちゃんとやる人なんです。

野:自分のあこがれがどこにあるか?ということだと思う。ストリートのグラフィティとかに憧れた人は初めからそういう手順を求めるだろうし、僕が美しいと思っているのは江戸末期から明治にかけての日本画だったり、絹本という絹に描いた掛け軸だったり、そこにすごく日本の極みを感じるんです。一生かけてなれるようなレベルではないんですけれど、そこに憧れているんです。

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